この一人旅を振り返って(チベット編)

チベットは、暴動からも復興し、新しいホテルもたくさんできたようです。

かと言って、巻き込まれてしまった人たちの命が戻ることもなく、自分の行った国や都市で多くの被害者が出たと聞くのは、悲しいものです。特に、このチベット旅行は、私にとって大事な旅行だったので。






私は、疲れていると「難しい国」へ行こうとする。何をもって「難しい」とするかは人によるだろうし、私自身、その時の気分によって難しいと思う国は変わると思う。だけど、あの時の私には、秘境と言われるチベットは私にとって「難しい場所」であり、「呼ばれた」場所でもあると思っています。






愛する人が、チベットへ行く2か月ほど前に他界していました。

その人はずっと病院にいたし、いつか来るその死は、決して予期せぬものでも早すぎたわけでもなかった。






「人は、突然死ぬ方が、まわりの人が幸せだ」と誰かが言っていた。毎日毎日その人が死ぬかもしれないと思いながら生きているのは、計り知れないストレスだからって。常に死と隣り合わせだからって。

それが愛する人ならば、愛する人の死と隣り合わせだから。




ということは、私はその人の死と隣り合わせのまま、10年の月日を過ごしたということだ。

一日中病院から電話があるかもしれないという心構えをして10年を費やすのは確かに体に良くなかったかもしれないけれど、私の体がそれをストレスと思ったかどうかは別として、私の心は一度だってそれをストレスだと思ったことはなかった。愛する人の「生」を、ストレスだなんて思えないから。

ストレスだとするならば、「死」の方でしょう。失ってしまうのだから。






意識もない人を抱きしめて頬にキスをするためだけに毎週毎週病院へ通っていたけれど、やがて最期の日がやってきた。死の報告を受けても誰の前でも泣かなかったけれど、泣くためだけに車に乗り、何度も夜一人で出かけた。

そしてそんな車泣きもしなくなった頃、チベットへ行きました。






チベット行きの前、死亡保険金を親に残すため、最高額の海外旅行保険をかけました。これにつき私本人は、別に自殺しに行ったわけでもなければ、事故で死ぬと思っていたわけでもないのですが、もしかして、「願わくばチベットで死にた」かったのではないかとは思っています。

ちょっとした放心状態だったので、チベットだからというわけではなく、どこへ行くにしても、伊豆へ行くにしても、あの精神状態なら最高の保険をかけて行ったと思う。






だけど、最終日に川のほとりで話したチベット人のお父さんが、「チベットは高いから神に近いんだ」と言ったとき、私がチベットへ行きたかったのは、そっちかもしれないと思いました。

死にに行ったのではなく、高いところへ行けば、何となくその人のそばに近づけるような気がしていたのではないかと。届きもしないのに、一生懸命もう一度そばへ行こうとしていたのではないかと。






何度も何度も雲を見上げて、「何て雲が近いんだろう」と感動していた。ずっと上を見ていた。だから、雲の写真がたくさんあったでしょう。アップしなかったけど、本当はもっと雲の写真があったのです。

だけど、私が見たかったのは多分、その雲よりもはるか上。そのために、「呼ばれた」のだろうと思っています。






死んでしまった愛するその人は、あまり環境が良くなかった私を、無条件で愛してくれました。

親よりもずっと。



そして彼女は、旅が好きでした。国内だったけど。それから、彼女の愛した旦那様は、カメラが好きでいつも写真を撮っていた。




今でも私は、カメラを持って旅に出ています。

私の体には、旅が好きだったその人と、写真が好きだった旦那様が生きていて、そして私を守ってくれていると思っています。




高山病になって、本当に具合が悪かった。3日連続で飛行機に乗ってチベットまで行き、又3日連続で飛行機に乗って帰り、最終日の広州では、幽霊が怖かったのもあるけれど、もう疲れてしまって、二度と飛行機など乗るものかと、二度と一人旅などするものかと思った。






でも私は、まだ一人旅をしています。

この二人に守られているという絶対的な自信が、旅先での私を強くしています。




そして、後にこの旅行記を書き、リンク貼り替えの為に読み直して気が付いたけれど、このチベット一人旅では、大変多くの人と出会っていたようです(ほんのちょっとの会話の人は書いていません)。

いい印象の人ばかりではなかったけれど、あそこまで放心状態だったこととは裏腹に、終始人と触れ合っているということは、「呼ばれた」もう一つの理由だったのかもしれないと思いました。

チベットには山のようにバックパッカーがいるということが話しっぱなしだった大きな理由だろうけど、それにしても、ここまで色々な人と出会ったのはチベット旅行だけであり、おそらくもう二度とないだろうと思っています。






一人を失うということが何十人との出会いでも埋められないこともあると改めて思ったけれど、一人を失っても、何十人とも話していられる強さがあった我が身を、今でも誇りに思っています。





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-チベット一人旅(成都含)

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