ロシアのお陰で
なぜアジアが左にあるのだ。
ここで理解した。
ロシアのウクライナ侵攻後、KLMがロシア上空の飛行を中止した。海外など行けないだろうと思っていた私は何とも思っていなかったけれど、あれから数か月経ってもまだ解決していないのだ。
ロシアの上は飛べないのだ。
そして、エアフラはKLMとはフライングブルーとして提携している。だったら思い出しても良かったろうに、私は全然思い出さなかった。
ウラシマタロコサン
フライトを予約した時、飛行時間が15時間を超えており、おかしいなと思った。成田からパリまでは、12時間ほどなのだ。書き間違いかなとか思っていたけど、こっちから行けばそれだけかかるのも当然だ。
15時間超は本当なのだなと思って諦めたけれど、だったら有料でも窓側席を取るべきだったな。
でも、次の問題が起きた。
数年飛行機に乗らなかったけれど、今の機体には、窓が閉まらないものがあるらしかった。閉まらないというか、カバーがなくて、ボタンを押すとスモークがかかるというか、窓が暗くなっていく仕組みだった。
暗くしてくれればいいものを、右隣の日本男子が明るいままにしていたため、でも角度的に太陽光は丁度私に当たってきてしまい、いい感じに昼間出発の便であったため、ずっと長いこと太陽に当たる事になってしまった。
日光過敏なのに。
この機体はボーイング787だった。長距離フライトに使われるものなはず。とすると、私は今後、787を避けようと思ったら、長距離を避けなければならないのかな。太陽が直撃してくるけれど、窓側だったらもっと災難だったかもしれない。
そんな事を思いながら、目が光を受けるため、目をつぶり、静かにしていた。
そうなると、時間の経過を長く感じるようになってきたけど、まだまだ到着しそうもなかった。
グリーンランドのほうが近いじゃないか。何だったらアイスランドで降ろしてくれてもいいぞ。大好きな国だし。
ついに吐気
到着4時間ぐらい前だったか、気持ちが悪くなり、これはもうダメだと思った。
私のフライト受容時間は、昔から、12時間ぐらい。それを超すと具合が悪くなる。日本発パリ行きだと、ちょうど具合が悪くなった頃に着く。ニューヨークとかだと相当遠い。それなのに、それを超す距離のフライトにウラシマタロコになっている私が耐えられるわけもなく、その上、好きなのにアレルギーを起こす事がある甲殻類を食べ、日光過敏なのにビームのように太陽光を受け続け、12時間ほどで限界がきたみたいだった。
機内の奥へ行き、日本の女性CAさんに、気持ちが悪いので何か飲み物を下さいと言ってみた。そしたら、コーラにしましょうかと言ってコーラを出してくれたけど、それをマドラーで一気に回し始めた。
何で回すのですかと驚いて聞くと、
フランスでは吐気には炭酸の抜けたコーラを飲むといいと言われているので
との返事だった。
そうなのか・・・。勉強になったよ。
そして、効き目もすごかった。この炭酸抜けコーラだけで結構楽になった。
次回から是非炭酸抜きコーラでやってみよう。
それから、ここに座っていていいかと、トイレの横のスペースにあった折り畳みの椅子を指さして聞いてみた。いいですよと言われたので座ったけれど、どうやら飛行機酔いもあったようで、延髄の位置が高いと吐気が増すため、椅子を畳んで床にお尻をつけずに座っていた。
ちょうどカーテンがあったらしくて閉めてくれたけど、床に座りたかったので紙かなんかくれないかとフランス人男性CAさんに聞いてみたら、ブランケットを持ってきてくれた。ブランケットを敷くなどもったいなくて申し訳なかったけど、遠慮なく敷かせて頂いた。
ああ、何て楽なの。
ついでに、今の機体はみんなあの窓なのか、それともこの787機だけなのかとも聞いてみた。そしたら、787でもまだあれではないものもあるようで、機体によるらしかった。これからカイロ乗り換えだったので、パリからカイロ便はと聞いたら、ちゃんと窓のカバーみたいなやつを降ろせる機体だと言われて安心した。
そしてそのまま機体の後ろのほうでペタンと座って時間が流れ、軽食の時間になった。
ペタンと座ったまま食べさせて頂いた。分かりづらいけど。
15時間ほどのうち、3時間近くはこのようにして座っていられたため、生き返りました。
カイロ行きは夜なので空が暗いため、万が一窓カバーがなくても大丈夫だと思った。心配だったのは乗り換えであり、1時間10分ほどしかなかったので、スーツケースが間に合わないかもしれなかったし、私自身も間に合わないかもしれなかった。だから保険をかけていた。
ところが、これも大分良くなっているようで、その場でタブレットにて荷物の追跡ができるようになっており、すぐ確認してくれるらしかった。
そして、浦島的気分を数度にわたり味わった成田パリフライトは無事に到着し、数年ぶりのシャルルドゴールに降り立ちました。
とりあえずこの時点で誓ったのは、ヨーロッパ便はもうしばらく乗らないということ。こんなに長いのであれば、アメリカへ行ったほうがいい。帰国はエアフラやKLMではなく、中東やアジア系航空会社を利用して帰ろうと思った。
シャルドはそれなりの活気
成田は半分ぐらい死んでいた気がする。お店もつぶれていたし、免税店も閉店が多かったと思う。
それに比べ、シャルドはそれなりに開いていた気もしたな。閉まっているお店もあったけど、あれだけ開いていれば立派だと思う。
さて、隣のターミナルなので、KからLだったかLからKだったか忘れたけれど、移動しなければいけなかった。
そんなに混んでいたわけじゃないけど、
それでもやっぱり移動時間はかかるもの。
あの向こうのエスカレーターで上がるのだ。
それから又してもセキュリティを通って、ベルトを外して、パソコン出してと言われたのでまだそんな事を言っているのかと思って南京錠を外してパソコンを出してこれに並んだ。
全然余裕で乗り換え間に合うなとか思って歩いていた。お店に寄る時間まではなかったが。
全面禁煙になったはずの空港になぜ喫煙所があるのか。中東行きのフライトが多いゲートの近所では、喫煙所を設けないと苦情がくるのだろうか。
なんてのんきな事を思っていたら、忘れ物に気が付いた。
又ハリランのベルトだ。
何でそんなものを忘れるのだ・・・。つけていたのに。
ついでに、南京錠もなかった。その2つは一緒のトレイに入れたため、要するにそのトレイごと忘れた。
冷や汗をかきながら戻るじゅんこさん。
目が覚めたな。
さっきのセキュリティのところに行って女性に聞いたら、あっちに聞けと言われて行ってみたけどわからんちんで、ろくに返事もせず、相変わらず不愛想なフランス人だなと思ってムカムカしていたら、ドアから出てきた女性に聞いてみたら、フランス語で最初に私が聞いた女性に聞いてくれた。そしたら、あった。
なんなんだ。
さっきの彼女は私が聞いた時はないと言ったのに、何であなたがフランス語で聞くとあると言ったのかと聞いてみたら、予想通り分からないと言われた。この女性はシャネルの店員さんだったので英語が流暢だったけど、フランスではまだまだ英語レベルは低いと思う。
さて、急いで戻り、水を一本買い、ラウンジがあれば水を買う必要もなかったのにと思いながらもこの行列がみんな搭乗するのを待った。
人がいなくなってからカウンターへ行くと、機内持ち込みのスーツケースを持って行っていたのに、搭乗の際、機内に持ち込めないと言われた。これは少し大きいと。ふと見たら、みんなそう言われたようで、スーツケースがたくさん置いてあった。
機内においてくれるのかと思ったら預けると言われ、預けに荷物と一緒にガッタンゴットン出されるのは嫌な予感がしたけれど、仕方がないので預けた。
でも、預け荷物として先に預けてあった大きなスーツケースがちゃんとカイロ行きの便に乗っているかと聞いたところ、やはりすぐ調べてくれ、既に乗っていると教えてくれました。
多分もう、前ほどひどいわけではないのだろうな。混んでいたら分からないけど、そうでもなければ、1時間あれば預け荷物の乗り換えも問題ないのだろうと思う。
というわけで、無事にカイロ行きのフライトへスーツケースと一緒に乗れました。