成都旅行と一緒にしました。
チベットへ行くにはどうしても成都へ寄る必要があったし(カトマンズ経由でも行けるけど)、成都とチベットを切り離したら旅行記を書くのが難しそうだったので。
※ 乗り変えで寄った広州は、「日帰り又は1,2泊一人旅」のカテゴリに入れました。
さて、この一人旅は、チベットの暴動より2年ほど前に行ったものです。でも、チベット旅行が貴重だからか、今でもページビューが多い旅行記です。現在の姿は違うだろうだから、もしかして、今は見られない当時の貴重な姿の写真もあるかも。行ったら比べてみてね。
その上、暴動と同じ年に四川省にて大地震がありました。一体あの地震が成都においてどれぐらいの規模で、どれぐらいの建物が破壊されたのかは分からないけれど、少し中心部からは外れていたと思います。私が行ったところは無事だったかも。
それにしても、いずれまとめて書くかもしれないけれど、私が行く又は行こうとする都市には災害やテロなどが起きることが多かったです。行った国に何かあるたび、「申し訳ない・・・」と思っていた。
そしてこの旅も、「申し訳ありません」な旅になってしまった。2年後ではあったけど、暴動の中ではかなり大きいものだったのではないでしょうか。
でも、人生に残る、記念すべき旅のうちの一つだった。休みが1週間しかなかった上に乗り換え時間の都合で広州で一泊を強いられ、チベット滞在はほんの数日だったけど、目にしたもののインパクトはすごかった。
行ったら誰しもが感動する国だと思うよ。
でも、「じゃあもう一度行きますか?」と聞かれたら、すいません、もう二度と行くことはないはずです。
高山病が苦し過ぎた。人生で最初で最後の経験であり、酸素が足りなくてひからびるかと思った。
だからこそ、この旅も、一眼レフでなかったことがものすごく悲しい。二度と行かない国なのに。
南アフリカで後悔してからブリッジカメラを買ったけど、一眼を買うお金はまだなかったのです(ブリッジカメラの日本語が分からないけど、レンズは取り外せないけど、一眼に近いような見た目のカメラって日本語で何ていうの?)。
南アフリカの写真よりは少しはましだと思うけど、枚数も少ないし、残念な結果です。
「高山病で苦しむ人の話」だと思って読んで下さい・・・。